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2008.11.24

singleアイコン妙石坊(宿院)

 開基:学禅院日逢上人。創立元禄14年(1701)9月七面山登山に第1番目の華表がある。かつて宗祖この石上に説法し給い、七面大明神示現の処と伝えられ妙法2神を祀ってあります。(出典:身延町誌)
現住職 奥野本洋 28世。
TEL:0556-62-0238 FAX:0556-62-0708
妙石坊ののぼり旗
妙石坊ののぼり旗

 三門より奥之院 西参道を30分程身延川に沿って登った所に妙石坊はあります。
身延川を渡る前に妙石坊への石段があり、石段に沿って「南無七面大明神」と書かれたのぼり旗が連なっています。

高座石
高座石

 身延のご草庵に住まわれていた日蓮聖人は、今の思親閣がある身延山山頂によく登られ、亡き父母のお墓のある房総の方を拝されてはご両親を偲ばれておりました。

 建治3年(1277)聖人が身延山山頂より下る時いつものように大きな石の上より説法をされる時美少女が姿を見せておりました。

妙石坊 本堂
妙石坊 本堂

 毎日の如く聴聞に来る美少女の素性が人々の話題になり、日蓮聖人は説法の途中で傍にあった水差しをとり、その美少女にふりかけました。
 すると、美少女の姿はみるうちに一丈龍の龍に変じ、西方の七面山をさし舞い上がって行きました。

七面山信仰とその経緯

Content Comments

丁寧なご回答ありがとうございました。
各地の伝説を紹介するという宿題があり、伝説誕生の時代背景、意味意義などについて調べていました。

宗教者(この言い方が正しいかどうか分かりませんが)は布教の過程において、哲学者的側面と霊能者的側面が求められ、前者は著作や語録として、後者は風説、伝説という形で、周囲に働きかける役割を持つのでしょうか。
日蓮に関する伝説(ではないかもしれませんが)は、元寇神風、龍口法難、逆銀杏のような、超能力的側面を語るものが多いように思います。 
激しい宗教間対立の中で、民衆の心をつかむ媒体として、伝説の誕生があったと考えるのはうがちすぎますか。

建治3年七面天女の物語誕生と理解しましたが、何か形として残っているものがあるのでしょうか。

アタッチしているサイトは、仕事に関することが中心ですが、雑誌などではあまり取り上げられていない函館のスポットやイベントなども取り上げています。ご興味がありましたら覗いてみてください。

コメントを頂いていたのに気が付かず放置していました。
申し訳ありませんでした。
里見さんは妙石坊の創立年をもご存知のようですので、かなり詳しいようで、怖いですね!。
ご質問の3件はとても重いご質問で、僕が解っている事といえば、七面山の池大神の姿が役行者の姿だとか「お万様」が七面山に上られてから一層七面山詣りが盛んになった事ですとかほとんどが身延町誌からの情報で,後は身延山大学の先生の講習会等で資料を頂いたもので整理を試みています。
そのうち記事として投稿出来る事があればご返事が出来るでしょうか?
説明しきれなくて申し訳ありません、返って色々と教えて頂きたいとおもいます。ではよろしくお願い致します。

興味深く読ませていただきました。
コメントではないのですが、以下の点につき、ご存知でしたら教えてください。
 ★「高座石伝説」が出来たのは何時ごろか?

以下のことなどと関連があるような気がして、興味深いところです。
・元禄14年(1701)の妙石坊の創立との関係
・七面山の起源とされる修験道との関係
・身延参りが盛んになった時代との関連

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