2008.06.09
俵石の句碑
総門から赤い太平箸を渡り三門への参道を行き道が二手に分かれる紅雲橋の手前右に「俵石の句碑」があり碑には次ぎの句が刻まれています。
御(お)命講や油のやうな酒五升 芭蕉
此の山の茂りや妙の一字より 蓼太
法華経とのみ山彦も鳥の音も 完来
「御(お)命講や油のやうな酒五升」元禄5年(49歳)芭蕉の句で御命講は、日蓮の命日(陽暦弘安5年1282年11月21日・陰暦10月13日)で10月13日の御会式のこと、芭蕉は御命講の萬燈会の行われる10月12日に他界することになります。
芭蕉が門人から酒を貰ったのに対しての謝礼句か酒に対する褒美の句で日蓮聖人が信徒からの贈り物への礼状に、「新麦一斗、筍<たけのこ>三本、油のやうな酒五升、南無妙法蓮華経と回向<えこう>いたし候」(日蓮聖人御消息文)とあり、芭蕉は日蓮聖人御消息文を読んでいたのでしょうか。
あるいは、芭蕉は江戸深川に住まいがあったため以下の江戸童歌を聞いていたからでしょうか。
「お正月はよいもんぢや 油のような酒飲んで 木っ端のような餅食って 雪のようなまま食って これでもとつさん正月か」
「此の山の茂りや妙の一字より」
「法華経とのみ山彦も鳥の音も」
芭蕉門十哲のひとり服部嵐雪(はっとりらんせつ)の後を次いだ雪中庵三世大島蓼太(おおしま・りょうた)と雪中庵四世大島完来(おおしま・かんらい)の句が見えます。
この句碑は建立 天保2年(1831)辛卯仲夏となっていましたので完来『1748年寛延元年生まれ、文化14年(1817)70才歿の江戸中期〜江戸後期の俳人』が建てたものではなく、その後につらなる人が建てたようです。
俵石というのは柱状節理の事で、身延山の近くでは「下田、爪木崎の柱状節理」が有名なようです。
爪木崎の柱状節理は約500万年前に安山岩溶岩の冷却によってできたもので、地元ではその形から「俵磯」と呼ばれている。
柱状の岩石が規則的に配列する景観は自然の美しさと溶岩流の特色をよくあらわしている。江戸時代には建設用材として伐り出され、一辺約30cmの五角形の石材は俵石と呼ばれ好評を博した。出典:爪木崎の柱状節理

[...] 身延山総門を入って参道7分程の右に俵石の碑が、その向かいに身延川を渡る香雲橋があります。丁度参道が二手に分かれる所です。 香雲橋の登り坂 [...]
Posted at 2010.02.3 7:47 AM by 花之坊 南谷 - : 身延の風