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2008.11.24

singleアイコン七面山信仰とその経緯

(1)七面天女の物語は建治3年(1277)の事とされている。
(2)永仁5年(1297)9月日円上人と名乗られる実長公と六老僧のお一人日朗上人とが七面山に登山し七面天女を祀った。
(3)18世の日賢上人(1599化、41歳)、文禄5年(1596)に「七面大明神宝殿常住本尊」を認めていたので、この頃には七面明神社の立派な宝殿が建立されたことが推知出来る。
(4)大阪雲雷寺の開山、雲雷院日宝上人が天正20年(1592)12月8日に曼陀羅本尊と七面大明神を勧請している。
(5)寛永十七年(1640)養珠院「お万様」(1653、82歳)により女人禁制が解かれる。
(6)妙石坊の創立元禄14年(1701)

七面山 一之池
“七面山 一之池

 以上のような経緯で妙石坊さんが創立された頃には「お万様」の七面山登山以降で多くの人が七面山に参詣されるようになって来てたように思えます。
 又、ついこの間(まだ車社会ではない頃)まで七面山を下る登山者は感井坊(追分)から身延の町に直接下らずに感井坊(追分)から奥之院へ登り、西コース又は東コースを下ったそうです。

 身延山から七面山への道中は羽衣橋まででも4時間〜5時間程もありなかなか激しいものがありますので、七面山ではなく言い伝えの元である高座石をお祀りするために妙石坊さんが創立されたと考えられます。

 又,法華経には以下の部分があり竜女が現れます。このような処からも七面山の「一之池」の龍は法華経の龍女と重ねられて来たのではないでしょうか。

その時、龍女に、一つの宝珠あり、価値は三千六千世界なり。持って以って仏に上つるに、仏は即ちこれを受けたもう。
龍女は、智積菩薩と尊者舍利佛に謂いて言わく「われ、宝珠を献つるに、世尊は納受したもう。この事、疾なるや、否や」と。
答えて言わく「甚だ疾なり」と。女の言わく「汝の神力をもって、われが成仏を観よ、またこれより速ならん」と。
岩波文庫 法華経(中)提婆逹多品第十二(書き下し)p222 9行目〜

 聖徳太子によって著されたとされる「三経義疏」(さんぎょうぎしょ)にも表わされた「法華経」の成立年代BC50年〜BC150年と七面山「一之池」の存在をはるか昔と考えれば龍神はおのずと「法華経」の龍女に思えて来るのはとても面白いですね。

 聖人は「釈迦仏は霊山に居して八箇年法華経を説き給う。日蓮は身延山に居して九箇年の読誦なり、我がこの山は天竺(てんじく)の霊山にも勝ぐれ日域の比叡山にも勝れたり。」(波木井殿御書)とおっしゃておいでです。この事からも、この高座石は日蓮聖人にとってお釈迦さまが悟りを開いた後、初めて説法を説いたとされる初転法輪の地、天竺の初転法輪の地サルナート『鹿野苑(ろくやおん)』にも勝る聖地と云えましょう。

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