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2009.01.03

archiveeアイコン 身延山五重塔

身延山五重塔
身延山五重塔

 元和五年(1619)前田利家の側室、寿福院により発願、建立された高さ九輪共二十一間(38.2m)の塔の「復元」の塔で材料、工法、意匠にわたり当時の姿を再現しようとする木造建築物です。
 当初は御位牌堂の前に建てられていましたが、寛文三年(1663)上ノ山に移築されていたものが文政十二年(1829)この五重塔から出火し消失。其の後万延元年(1860)に再建されましたが、わずか十五年後の明治八年(1875)全山を巻込んだ大火により焼失し、約百三十年ぶりに再建されました。

 外観は復元ということで古来木造建築物に使われ耐水、耐光、耐熱、耐酸、耐アルカリ、にも優れた弁柄に焼酎、柿渋を合わせた塗料が使用されています。

 初重の屋根下、蠆股(かえるまた)には十二支が配置され、子(ね)が北を指しています。

寿福院(じゅふくいん)
 元亀元年(1570) 〜寛永八年三月六日(1631)加賀藩主前田氏の祖・前田利家の側室。
 正室お松の方(芳春院)の侍女として前田家に入ったが、文禄・慶長の役にて名護屋の陣中にあった利家に見初められ側室となり二代当主利常を生んだ。
 寛永八年(1631)加賀藩江戸屋敷にて死去。池上本門寺で荼毘に付され後、経王寺(金沢市)にて再び葬儀が行われ納骨。
 寿福院は熱心な日蓮宗徒であり、江戸に人質に出されていた元和八年(1622)、安房国の誕生寺に法華経を奉納、身延山に五重塔や奥之院祖師堂を奉献。
Wikipedia:寿福院

前田利家
 天文七年十二月二十五日(1539)〜慶長四年閏三月三日(1599)
 尾張国荒子城主前田利昌の四男、織田信長に仕え、赤母衣(あかほろ)衆として信長に従軍、「槍の又左」の異名をもって怖れられた。のち柴田勝家の与力として転戦。天正九年(1581)能登七尾城(石川県七尾市)能登二十三万石の大名となった。
 信長が本能寺の変により討たれると、羽柴秀吉に従い従軍。天正十一年(1583)秀吉により加賀二郡、嫡子利長に越中が与えられ、三国にまたがり前田家領(加賀百万石)の原形が形成された。慶長三年(1598)には秀吉より豊臣秀頼の後見人を任じられ、徳川家康の牽制に尽力するが、秀吉の死の八ヶ月後に病没した。

 豊臣家の五大老(ごたいろう)の一人で徳川家康と共に上首の地位にありました。

五大老
 ・徳川家康(関東に256万石)
 ・前田利家(北陸地方・加賀など83万石)
 ・宇喜多秀家(中国地方・吉備東半57万石)
 ・毛利輝元(中国地方・吉備西半・安芸など120万石)
 ・小早川隆景(北九州・筑前33万石)
Wikipedia:前田利家

2008.12.29

archiveeアイコン 身延山五重塔のライトアップ

五重塔01 五重塔02 五重塔03
五重塔05 五重塔06 五重塔07

 身延山五重塔がライトアップされています、弁柄で塗られた五重塔が一段ときれいです。

 江戸時代初期、元和5年(1619)前田利家の側室、寿福院により利家公の菩提を弔うために発願、建立された塔ですが、文政12年(1829)の火災と明治8年(1875)の全山を巻込んだ大火によって焼失したと云われています。

 この度。約130年ぶりに再建される事となった五重塔は元和5年創建の塔の「復元」の塔で伝統木造工法に基礎、構造補強には現代工法をとりいれた建築物で多くの信者の方々の日本の歴史と日蓮聖人に対する思いが積み重なり再現された「心の象徴」にも思えます。

2008.11.06

archiveeアイコン 身延山 五重塔 竣工

身延山五重塔
身延山五重塔

平成20年11月5日身延山 五重塔 竣工式が執り行われました。

平成25年5月13日〜17日には身延山 五重塔 落慶式とその記念行事が行われます。

朝日に照らされた弁柄塗りの五重塔は通常見える色よりは赤みが強く感じられます。

撮影技術がもっとあれば気に入った画像をアップ出来るのでしょうが僕の能力では今の所ここ迄のようです。

2008.08.01

archiveeアイコン 身延山ロープウエーから見た五重塔

ロープウエーから見た五重塔
ロープウエーから見た五重塔

そうだ、ロープウエーから五重塔を見てみよう!
と思い立ちロープウエーに乗って奥之院へ14-42mmのズームしか持っていなかったのでちょいと苦しかったようですが本堂の屋根の右側に立派な五重塔が!是非画像をクリックして拡大画像を見て下さい、ちょっとガスがかかっているようですが僕の腕ではこんなものでしょうか。

身延山の新しい風景です。
しかも身延山ロープウエーのご協力により天気と御日柄の良い日に ゆっくりと撮影させて頂けることに、今日はロープウエーから日本カモシカの姿も見れたのですがシャッターチャンスを逃がしザンネーン!、いつか皆さんに見ていただける様に頑張りま〜す。
それに今度は40-150mmも持っていかなくては!。

2008.07.24

archiveeアイコン 五重塔7月23日

五重塔7/23
身延山 五重塔

 昨日の五重塔、いつ最後のフェンスが取り払われるのでしょう?
竣工予定のは2008年10月末だというのに気がきではありませ〜ん!。
まだ、3ヶ月もあるというのに、時間を見ては写真を撮りに、なんといっても「しおり」を作ってくれと頼まれているのです。

 五重塔には囲む柵のような物がありましたっけ!、誰かが教えてくれるとありがたいのですが!。

2008.07.17

archiveeアイコン 五重塔がこんなに姿を現しました。

身延山五重塔
是非、画像をクリックして拡大画像をご覧下さい。

身延山五重塔の2重の屋根の上はほぼ見えるようになりました。

工事中の五重塔見学で見た銅板の屋根は銅の色がピカピカで眩しいようでしたが今はそんな事はありません、とても重厚な五重塔です。

五重塔内に入れる事の無い私たちにはシートが全て取れれば、五重塔がもう完成したのと同じですね!。

2008.07.03

archiveeアイコン 身延山 五重塔復元工事

 身延山に初めて五重塔が建てられたのは、江戸時代初期の元和5年(1619)前田利家の側室、寿福院により発願、建立され高さ九輪共21間(38.2m)初重18尺6寸(5.6m)の規模を持った塔で当初は位牌堂の前に建てられていましたが、寛文3年(1663)に上ノ山に移築されていた事が古文書や古絵図から伺い知る事が出来ます。

 文政12年(1829)この五重塔から出火し、境内28棟が消失、其の後万延元年(1860)に再建されましたが、わずか15年後の明治8年(1875)全山を巻込んだ大火によって焼失してしまいました。

 今回、約130年ぶりに再建される事となった五重塔は単なる新築再建の塔としてではなく、元和5年創建の「復元」の塔であり材料、工法、意匠にわたり当時の姿を再現しようとする建築物で、木部は伝統木造工法を再現。基礎、構造補強には現代工法をとりいれた「復元」の塔がまもなく姿を現します。
五重塔比較
又、五重塔の心柱は、塔の中心に直立するもので、他のどの部材とも接する事は無く、相輪の金物の重量のみを支えています。

 後の時代には、心柱をつり下げこれが振り子の役目をして地震に強いと言われる工法(日光東照宮五重塔など)がありますが、身延山五重塔では心柱は礎石の上に建ち、側柱、四天柱がそれぞれ異なる動き方をしてバランスを保つ構造となっています。

復元工事中の身延山五重塔
身延山 五重塔

 竣工予定の2008年10月末までには全ての工事用シートが取り外されます。

なかなか渋く素敵な色の五重塔が見えて来ました。

 五重塔とは佛舍利・お釈迦様のお骨をお祀りするための塔で竣工予定の2008年10月末が待たれます。
Wikipedia:五重塔

2008.07.02

archiveeアイコン 高さでみる五重塔

ちょっと気になって、五重塔を高さで並べてみました。

近世以前の五重塔では

(1)教王護国寺五重塔(東寺):54.84m(1644年)京都市南区九条町
(2)興福寺五重塔:50.81m(1426年)奈良市登大路町
(3)法観寺五重塔:38.78m(1440年)京都市東山区八坂通下
(4)身延山久遠寺五重塔:38.2m(2008年)山梨県南巨摩郡身延町
(5)醍醐寺五重塔:38.16m(951年)京都市伏見区醍醐伽藍町 
(6)日光東照宮五重塔:34.46m(1818年)栃木県日光市山内
(7)備中国分寺五重塔:34.32m(1835年)岡山県総社市
(8)妙成寺五重塔:33.87m(1618年)石川県羽咋市
(9)大石寺五重塔:33.40m(1749年)静岡県富士宮市上条
(10)法隆寺五重塔:32.55m(7世紀末)奈良県生駒郡斑鳩町
(11)旧寛永寺五重塔:32.26m(1639年)東京都台東区上野公園
(12)最勝院五重塔:31.31m(1666年)青森県弘前市銅屋町
(13)法華経寺五重塔:30.78m(1622年)千葉県市川市中山
(14)瑠璃光寺五重塔:30.75m(1442年)山口市香山町
(15)興正寺五重塔:30.00m(1808年)名古屋市昭和区八事本町
(16)羽黒山五重塔:29.29m(1377年)山形県東田川郡羽黒町
(17)池上本門寺五重塔:29.25m(1607年)東京都大田区池上
(18)明王院五重塔:29.14m(1348年)広島県福山市草戸町
(19)厳島神社五重塔:28.50m(1407年)広島県佐伯郡宮島町
(20)仁和寺五重塔:25.92m(1644年)京都市右京区御室
(21)妙宣寺五重塔:24.10m(1825年)新潟県佐渡郡真野町
(22)海住山寺五重塔:17.70m(1214年)京都府相楽郡加茂町  
(23)室生寺五重塔:16.00m(8世紀初)奈良県宇陀郡室生村

と、このような具合でしょうか?
しかし、近・現代の塔を見てみると高さのみで云えば

清大寺 75m(1987年)福井県勝山市 鉄筋コンクリート
長楽寺 70m(1992年)兵庫県香美町 鉄筋コンクリート
浅草寺 70m(1973年)東京都台東区)塔院造り、鉄筋コンクリート

等が高いと云えます。塔には木造塔のほか、鉄製の塔、鉄筋コンクリート造の塔もあり、高さのみを云えば

東京タワー:332.6m(1958年)[昭和33年] 東京都港区芝公園

そして、これから出来る

東京スカイツリー:610.58m(2011年12月卯竣工予定)東京都墨田区押上

「あれ!寅さんの柴又の近くですね。」は最高の高さになるのでしょうか?