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	<title>身延の風</title>
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	<description>六無の夢 WordPress3.0.1</description>
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		<title>日本仏教の歴史</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 06:00:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>六無</dc:creator>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>

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		<description><![CDATA[　僕にとっての成仏とは釈尊のように現世に居ながらにしてあらゆる煩悩から開放され「煩悩が煩悩として働かなくなり、煩悩の障りが涅槃の境地に転じ、智慧の障害であったものが転じて慈悲として働く。それを菩提（ぼだい）という。」とこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　僕にとっての<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E4%BB%8F">成仏</a>とは釈尊のように現世に居ながらにしてあらゆる煩悩から開放され「煩悩が煩悩として働かなくなり、煩悩の障りが涅槃の境地に転じ、智慧の障害であったものが転じて慈悲として働く。それを菩提（ぼだい）という。」ところの<strong><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E6%8F%90">菩提</a>の境地に至りたい</strong>という事のようだと思うのです。</p>
<p>　ただこれだけの事なのに仏教には現在十三宗もあり、自分が関係するお寺が何宗であるのか（最もある年齢に成ってやっと曹洞宗だと云う事は知りました。）も良く考えずに今に至っています。</p>
<p>　そして、今は女房の実家のある身延山（日蓮宗）に住んでいるわけです。</p>
<p>　まあ、このあたりは結婚する時に相手が何宗何派など、考えずに結婚するのがほとんどだと思いますし、夫婦別宗等は当たり前のようですが日本人の身体には日本の仏教的考え方があちこちに染み込んでいるようでやはり、僕の場合は仏教の宗派にはこだわらず、釈尊の示された「菩提の境地に至る」を目標に勉強してみたいと考えます。</p>
<p>　と，云う事で日本仏教のお勉強です。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;<br />
仏教の伝来：<br />
　『<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E8%81%96%E5%BE%B3%E6%B3%95%E7%8E%8B%E5%B8%9D%E8%AA%AC">上宮聖徳法王帝説</a>』や『<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80">日本書紀</a>』第19巻』によれば</p>
<p><span style="color: #800000;">第29代欽明天皇13年(552年)</span>：百済の第26代の王　<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E7%8E%8B">聖明王（在位：523年 &#8211; 554年）</a>より倭国に金銅の仏像一体、幡、経典などが伝えられた。</p>
<p><span style="color: #800000;">587年</span>：厩戸皇子（聖徳太子、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E9%A6%AC%E5%AD%90">蘇我氏</a>『崇仏派』）は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E6%B0%8F">物部氏</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%87%A3%E6%B0%8F">中臣氏</a>『廃仏派』との戦いの際の誓願を守り、摂津国難波に四天王寺を建立。</p>
<p><span style="color: #800000;">611年〜615年</span>：<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90">厩戸皇子（聖徳太子）</a>は仏教を厚く信仰し、『<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E9%AC%98%E7%B5%8C">勝鬘経</a>義疏』（伝611年）・『<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E6%91%A9%E7%B5%8C">維摩経</a>義疏』（伝613年）・『<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C">法華</a>義疏』（伝615年）・の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%B5%8C%E7%BE%A9%E7%96%8F">三経義疏</a>を著された。<br />
　又、『十七条憲法』の第二条に、「篤（あつく）く三宝を敬へ 三寶とは佛（ほとけ） 法（のり）僧（ほうし）なり」と書くなど、仏教の導入に積極的な役割を果たした。</p>
<p><span style="color: #800000;">710年〜794年</span>：<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3">奈良時代</a>710 年（和銅3年）元明天皇が平城京に都を遷してから、794年（延暦13  年）桓武天皇によって平安京に都が遷されるまでのおよそ84年間。</p>
<p><strong>南都六宗</strong><br />
　南都六宗は学派的要素が強く、仏教の教理の研究を中心に行っていた学僧衆の集まりであったといわれる。つまり、律令体制下の仏教で国家の庇護を受けて仏教の研究を行い、宗教上の実践行為は鎮護国家という理念の下で呪術的な祈祷を行う程度であったといわれる。</p>
<p>◯<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%AB%96%E5%AE%97">三論宗</a>　-論：『中論・十二門論・百論』<br />
-開祖：恵灌、寺院：東大寺南院<br />
◯<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%B6%E8%88%8E%E5%AE%97">倶舎宗</a>　-論：『倶舎論・摂大乗論・経論 』　　　<br />
-開祖：道昭、寺院：東大寺・興福寺<br />
◯<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%AE%9F%E5%AE%97">成実宗</a>　-論：『成実論 』　　　　　　<br />
-開祖：道蔵、寺院：元興寺・大安寺<br />
◯<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%9B%B8%E5%AE%97">法相宗</a>　-経典：般若経・般若心経・金光明最勝王経・成唯識論・解深密経(げじんみつきょう)、 &#8211; 開祖：道昭、寺院：興福寺・薬師寺<br />
◯<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E5%AE%97">華厳宗</a>　-経典：華厳経、-開祖：良弁・審祥、寺院：東大寺<br />
◯<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E5%AE%97">律宗</a>　-経典：大乗経典全てを律蔵に加える、四分律蔵・法華経・梵網経、-開祖：鑑真、寺院：唐招提寺</p>
<p>　南都六宗の内法相宗、華厳宗、律宗の三宗が、現在までも存続している。</p>
<p><strong>700年代</strong>：「鎮護国家」の発想の下、「僧尼令」や僧綱・度牒制度が導入され官僚組織の一員とまで化した。（僧正・僧都などは律令制で定められた僧官）。</p>
<p>　7世紀前半には浄土思想が伝えられ、末法思想が蔓延、現世に失望した人々は、来性にこそ救いを見いだそうと死後は阿弥陀如来の極楽浄土への往生  を熱烈に願った。</p>
<p><span style="color: #800000;">794年〜1184年</span>：<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3">平安時代</a>：朝廷の保護の下、力を持ちすぎた奈良仏教（南都六宗）の政治への専横問題があり、この影響を排除するため桓武天皇は平安遷都（794年）を行い、又奈良仏教に対抗しうる新しい仏教として、最澄が唐から持ち帰った天台宗や空海が持ち帰った真言宗を保護した。</p>
<p><strong>平安二宗</strong>(平安仏教)<br />
◯<strong>天台宗- 開祖：最澄(766年~822<strong>年</strong></strong><strong>)</strong>、-経典：法華経・阿弥陀経・法華文句・摩訶止観・蘇悉地経・大日経、-寺院：比叡山 延暦寺<br />
　すでに日本には<span style="color: #0000ff;">法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派</span>であった。最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁（慈覚大師）・円珍（智証大師）等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生は成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。</p>
<p>　鑑真和上が将来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対し、最澄は大乗戒壇を設立し、大乗戒を受戒した者を天台宗の僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問・修行を修めるという革新的な最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教との対立を深めた。</p>
<p><strong> 大乗仏教の考え方</strong><br />
　釈迦が前世において生きとし生けるものすべて（一切衆生）の苦しみを救おうと難行（菩薩行）を続けて来たというジャータカ伝説に基づき、自分たちもこの<span style="color: #0000ff;">釈尊の精神（菩提心）にならって善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる（三劫成仏）</span>という説を唱えた。この傾向を明確に打ち出した経典として『法華経』や『涅槃経』などがある。</p>
<p>　出家者ではない俗世間の凡夫でも自分の解脱よりも他者の救済を優先する<span style="color: #0000ff;">利他行</span>を続けてさえいけば、誰でも未来の世において成仏できる（ブッダに成れる）と宣言したのが大乗仏教運動の特色。</p>
<p>　最澄自身が<span style="color: #800080;">法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立</span>を目指していたのは紛れもない事実で、円仁（慈覚大師）・円珍（智証大師）などの弟子たちは最澄自身の意志を引き継ぎ密教を学び直し、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教の系譜は、円仁・円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。</p>
<p>　比叡山では「朝題目に夕念仏」というように天台宗では朝の勤行には題目（南無妙法蓮華経）と唱え、夕の勤行には念仏（南無阿弥陀仏）と唱えると言うところからも、それが伺えます。</p>
<p>　なお真言密教（東密）と天台密教（台密）の違いは、東密は<strong>大日如来</strong>を本尊とする教義を展開しているのに対し、<span style="color: #0000ff;">台密はあくまで法華一乗の立場を取り、法華経の本尊である久遠実成の<strong>釈迦如来</strong>としている</span>。</p>
<p>◯<strong>真言宗- 開祖：空海(744<strong>年</strong>~835<strong>年</strong>)</strong>、-経典：金剛頂経・大日経・蘇悉地経・瑜祇経(ゆぎきょう)・理趣経・要略念誦経(ようりゃくねんじゅきょう)・法華文句、摩訶止観 、-寺院：高野山金剛峯寺<br />
　空海は、弘仁7年（816 年）に高野山金剛峯寺を修禅の道場として開創し、弘仁14年（823年）に嵯峨天皇より勅賜された教王護国寺を真言宗の根本道場として宗団を確立した。</p>
<p>　空海は入定に際し、住持していた寺院を弟子に付嘱。<br />
教王護国寺は実慧、金剛峯寺は真然、神護寺は真済、安祥寺を恵運、寛平法皇（宇多天皇）が開基した仁和寺、醍醐寺は聖宝、円成寺は益信などがあり、これらの寺院に年分度者（ねんぶんどしゃ）（国家公認の僧侶の養成）を許可され、それぞれの寺院が独立した傾向を持っていった。</p>
<p>　この頃は天台宗、真言宗、浄土宗も教団というよりむしろ学派という位置づけだったと言える。</p>
<p><span style="color: #800000;">平安時代</span></p>
<p>◯<strong>天台浄土教の発 祥：円仁（794年  &#8211; 864年）</strong>、　-寺院：慈覚大師円仁が開山、再興したと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされる。浅草の浅草寺はそのひとつ。<br />
　承和5年（838年）遣唐使の一員として留学、中国五台山で法照流の五会念仏、悉曇・密教などを学び、承和14年（847年）に帰国。五台山の引声念仏を常行三昧に導入・融合し、<span style="color: #0000ff;">天台浄土教の発祥となる。</span></p>
<p>　814年（弘仁5 年）、言試（国家試験）に合格、翌年得度（出 家）（21歳）。　816年（弘仁7 年）、東大寺で三戒壇の一つ具足戒（小乗250戒）を受ける（23歳）。この年、師最澄の 東国巡遊に従い。天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選び宝塔を建て一千部 八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものだった。817年（弘仁8 年）3月6日、大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。</p>
<p>◯<strong>第18代天台座主：良源（912 年 &#8211; 985 年）</strong>、-寺院：比叡山延暦寺<span style="color: #0000ff;"><br />
　『極楽浄土九品往生義』</span>を著す。康保3 年（966年） 天台宗最高の地位である天台座主に上り詰めた。</p>
<p>　良源は村上天皇の外戚（皇后の実父）である藤原師輔の後援を得て、焼失した堂塔を再建した。また、最澄の創建当初は小規模な堂だった根本中堂を壮大な堂として 再建し、比叡山の伽藍の基礎をつくった。天禄元 年（970年） には寺内の規律を定めた「二十六ヶ条起請」を公布し、僧兵の乱暴を抑えることにも意を配った。良源は、比叡山の伽藍の復興、天台教学の興隆、山内の規律の 維持など、さまざまな功績から、延暦寺中興の祖として尊ばれている。弟子も多く、中でも『往生要集』の著者・源信（恵信僧都）は著名である。</p>
<p>◯<strong>天台宗浄土教空也派の祖：空也（903年-972年）</strong><br />
　念仏を唱えながら各地で道を作り、橋を架けるなど社会事業に従事しながら諸国を遊行する。同時に庶民に対し精力的に教化を行い、庶民の願いや悩みを聞き入れ、阿弥陀信仰と念仏の普及に尽力する。空也は、「市聖」（いちひじり）・<span style="color: #000000;">「阿弥陀聖」と呼ばれ、</span>民間における<span style="color: #0000ff;">浄土教</span>の先駆者と評価される。</p>
<p>◯<strong>浄土真宗、七高僧の 第六祖：<strong>源信</strong> （942 年-1017 年）</strong>「<strong>恵心僧都</strong>」（えしんそうず）と尊称される。 -経典：無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経・正信偈、<br />
　良源の弟子のひとりで、985年に<span style="color: #0000ff;">『往生要集』</span>著し、日本人の浄土観・地獄観に影響を与えた。</p>
<p>　天暦4年（950年）比叡山中興の祖慈慧大師良源 （通称、元三大師）に入門し、止観業、 遮那業を学び、天暦9年（955年）得度、天暦10年（956年）15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれる。</p>
<p>◯<strong>融通念仏宗の開祖：良忍（1072年 &#8211; 1132年）、</strong> -経典：華厳経・法華経・浄土三部教、   -寺院：大念仏寺<br />
　1117年（永久5年）阿弥陀仏の示現を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の 念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始し、称名念仏で浄土に生まれると説き、結縁した人々の名を記入する名帳を携えて各地で勧進を行った。四天王寺に参籠した時に見た霊夢により、摂津国住吉郡平野庄（現大阪市平野区）の領主の坂上広野の邸宅地に開いた修楽寺が、その後の融通念仏の総本山の大念仏寺の前身である。</p>
<p><span style="color: #800000;">鎌倉時代</span></p>
<p>◯<strong>浄土宗の開祖：法然（1133年-1212年）</strong>、 -経典：観無量寿経・阿弥陀経・無量寿経・浄土論   -寺院：華頂山知恩院<br />
　1198年『選択本願念仏集』（『選択集』）を著すなど、念仏を体系化したことにより、日本における称名念仏の「元祖」と称される。</p>
<p>　浄土に往生するための行を称名念仏を指す「正」とそれ以外の行の「雑」に分けて正行を行うように説いている。著書内で、時（時間）機（能力）に応じて釈尊 の説かれた聖教のなかから自らの機根に合うものを選びとり、行じていく事が本義である事を説いた。</p>
<p>◯<strong>日本臨済宗の開祖：栄西（1141年</strong>-<strong>1215年）</strong>、 -経典：般若心経・観音経・金剛般若経・楞伽経(りょうがきょう)   -寺院：建仁寺。<br />
　延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学ぶ。行法に優れ、自分の坊号を冠した葉上流を興す。</p>
<p>　仁安3年（1168年） 形骸化した日本天台宗に嫌気し、南宋に留学。天台山万年寺などを訪れ、『天台章疎』60巻を将来、当時、南宋では禅宗が繁栄、大いに感化され、仏法復興のために禅の重要性を感じたとされる。<br />
建久2 年（1191 年）天台山万年寺の虚庵懐敞に師事、臨済宗の嗣法の印可を受ける。</p>
<p>◯<strong>浄土真宗の宗祖：親鸞（1173 年-1262 年）</strong> -経典：無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経・正信偈 -寺院：龍谷山本願寺（<a title="西本願寺" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA">西本願寺</a>）・真宗本廟（<a title="東本願寺" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA">東本願寺</a>）<br />
　法然の弟子のひとり。『顕浄土真実教行証文類』（『教行信証』）の冒頭に、釈尊の出世本懐の経である『大無量寿経』が「真実の教」であるとし、阿弥陀如来の本願（四十八願）と、本願によって与えられる名号「南無阿弥陀佛」を浄土門の真実の教え「浄土真宗」であると示した。法然の教えを継承発展、親鸞の没後その門弟たちが教団として発展させる。</p>
<p>◯<strong>日本曹洞宗の開祖：道元（1200年-1253年）</strong>、 -経典：般若心経・妙法蓮華経・金剛般若経・正法眼蔵(修証義)、-寺院：永平寺、總持寺。<br />
　徒（いたずら）に見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えた。『正法眼蔵』は、和辻哲郎、ハイデッガーなど西洋哲学の研究家からも注目を集め続けている。</p>
<p>◯<strong>日蓮宗<strong>の開祖：日蓮（1222 年-1282 年）</strong></strong>、 -経典：妙法蓮華経・観音経、-寺院：身延山 久遠寺<br />
　釈尊の説いた仏法の極意が法華経にあるという中国の天台大師の教相判釈に基づき、鳩摩羅什（くまらじゅう）訳『妙法蓮華経』を所依の経典と する。</p>
<p>　日蓮は、いかなる凡夫にも「仏性」 が秘められており、題目「南無妙法蓮華経」（なむ・みょうほうれんげきょう）を唱える「唱題」の行を行えば「仏性」が顕現するという思想を説いた。</p>
<p>◯<strong>時宗の開祖：一遍（1239 年-1289 年）</strong>、-経典：阿弥陀経・観無量寿経・無量寿経、-寺院：藤沢山無量光院清浄光寺（通称 遊行寺）寺院：藤沢山無量光院清浄光寺（通称 遊行寺）<br />
　1251年大宰府に赴き、法然の孫弟子である浄土宗の聖達（1203年-1279年）に師事した。その後は諸国を遍歴し、紀伊の熊野本宮証誠殿で熊野権現から啓示を得て悟りを開き、時宗を開宗したとされる。</p>
<p>◯<strong>日本黄檗宗の開祖：隠元（1592年-1763年）</strong>、寺院：萬福寺。<br />
　当初、正統派の臨済禅を伝えるという意味で「臨済正宗」や「臨済禅宗黄檗派」を名乗っていた。宗風は、明時代の中国禅の特色である華厳、天台、浄土等の諸宗を反映したいわゆる混淆禅の姿を伝えている。<br />
　隠元の法孫に当たる<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%9C%BC%E9%81%93%E5%85%89">鉄眼道光</a>は艱難辛苦の末に隠元のもたらした大蔵経を底本とした『鉄眼版（黄檗版）一切経』（万暦版の覆刻でその版木は、後世まで黄檗山の宝蔵院に収蔵され、<a href="http://www.baiyoushoin.com/gallery.html">貝葉書院</a>を通じて、求めに応じて摺印が行なわれ続けている。）といわれる大蔵経を開刻・刊行、これにより日本の仏教研究は飛躍的に進んだ。</p>
<p>　平安時代の円仁に始まる比叡山での浄土教研究、から鎌倉時代の法然、栄西、親鸞、道元、日蓮まで皆、天台比叡山に関係があるというのは最澄がめざした<span style="color: #800080;">法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立</span>と円仁以下新たに取り入れた浄土思想、そして其の中にあった日蓮の「仏法の極意が法華経にあるという」考え、等を見ると、天台仏教というのは仏教の総合大学の役目を果たしていたのでしょうか。<br />
　これらの事から、平安時代の末法思想のなかで、死後は阿弥陀の極楽浄土への往生を願う浄土思想「阿弥陀信仰」の後、弥勒菩薩が出現しお釈迦様の言葉で書かれた法華経をを広めるとする「法華信仰」への考え方も、仏教哲学の一つの展開だったようにも思えます。</p>
<p>　奈良仏教の内三論宗、倶舎宗、成実宗を除いた<strong>法相宗、華厳宗、律宗</strong>の三宗、平安仏教の<strong>天台宗、真言宗</strong>の二宗、鎌倉仏教の<strong>浄土宗、臨済宗、浄土真宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗、時宗、黄檗宗</strong>の八宗の十三宗が現在も存続しています。</p>
<p>　しかし、明治時代新政府による神道重視の政策の結果、全国で<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88">廃仏毀釈</a>が行われ寺院数は減ったにも依らず、日本仏教は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%AE%97%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%B4%BE">十三宗五十六派</a>と言われるように五十六もの派があり、ただただ「菩提の境地に至りたいという」僕の様な者は混乱するばかりです。</p>
<p>　仏教経典としては法句経、阿含経、般若経、維摩経、涅槃経、華厳経、法華三部経、浄土三部経、金剛頂経などで経・律・論および、その注釈書などは、大蔵経もしくは一切経と呼ばれる叢書にまとめられていますが、現在、東京大学の『<a href="http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/">大正新脩大藏經</a>』テキストデータベース（SAT）がより完成される事を願うのみです。</p>
<p>　僕の「タラの頭」ではとてもこれらのお経を全て把握する等と云うのは不可能です。</p>
<p>　という事で、やはり法華経と日蓮聖人の御遺文あたりからの勉強がやっとではないかと思うのです。</p>
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		<title>奈良仏教から平安仏教へ</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Jul 2010 05:44:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>六無</dc:creator>
				<category><![CDATA[仏教]]></category>

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		<description><![CDATA[奈良仏教（南都六宗）◯三論宗 &#8211; 開祖：恵灌、寺院：東大寺南院
　625 年（推古33年）高句麗の僧、慧灌が伝えた。
　インドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依（基盤とする）の経典とする論 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%83%BD%E5%85%AD%E5%AE%97"><strong>奈良仏教</strong></a>（南都六宗）◯<strong><strong>三論宗</strong></strong> &#8211; 開祖：恵灌、寺院：東大寺南院<br />
　625 年（推古33年）高句麗の僧、慧灌が伝えた。<br />
　インドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依（基盤とする）の経典とする論宗（経を所依とせず、論を所依とする）を中国隋代に嘉祥大師吉蔵（549 年 &#8211; 623 年）が大成した。（唐代には、天台宗や華厳宗、法相宗の隆盛の陰に隠れ、宗風が振るわなくなり、学問としてのみ存在するようになった。）</p>
<p>◯<strong>倶舎宗</strong> &#8211; 開祖：道昭、寺院：東大寺・興福寺<br />
　インドやチベットにおいて倶舎論 は、仏教教理学の必修科目として研究・講義され、中国においても真諦（しんだい）によって摂大乗論 （しょうだいじょうろん）などとともに漢訳され（566年 &#8211; 567年）、さらに玄奘（げんじょう）によって多数の唯識学系統の経論とともに再訳されて654年以後、それぞれ摂論学派と法相唯識学派の学統において研究・講義され、いくつかの重要な注疏がつくられた。</p>
<p>◯<strong>成実宗</strong> &#8211; 開祖：道蔵、寺院：元興寺・大安寺<br />
　『成実論』を研究する論宗（経を所依とせず、論を所依とする宗派）。<br />
鳩摩羅什が漢訳した412年に始まる。最初は北朝で継承されたが、鳩摩羅什の弟子・僧導が、南渡して寿春と建康で講説してより、南方にも広まった。<br />
隆盛した時期は、南朝の梁代（502年 &#8211; 556年）で隋代に、成実論が、天台宗祖の智顗（ちぎ）や三論宗祖の吉蔵によって、小乗の論とされたこともあり、衰退に向かう。</p>
<p>◯<strong><strong>法相宗</strong></strong> -開祖：道昭、寺院：興福寺・薬師寺<br />
　638年（貞観19年）唐代、中インドから玄奘が帰国し『成唯識論』を中心に玄奘の弟子の慈恩大師が開いた。<br />
法相（ほっそう）とは、存在のあり方を指す。個々の具体的存在現象のあり方だけでなく、一切の事物の存在現象の区分やその有様も指している。最終的には一切の存在現象はただ識に過ぎないとする。</p>
<p>◯<strong><strong>華厳宗</strong></strong> -開祖：良弁・審祥、寺院：東大寺<br />
　736年　中国の華厳宗第3祖法蔵門下の審祥（しんしょう）により「伝えられた。金鐘寺（後の東大寺）の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において華厳経・梵網経に基づく講義を行い、その思想が反映され東大寺盧舎那仏像（奈良の大仏）が建立（743年-749年）された。</p>
<p>　鎌倉仏教期には、明恵によって密教思想が取り込まれ、さらに凝然（ぎょうねん）による教学の確立がなされている。法相宗と並ぶ、主な南都六宗（なんとりくしゅう）の一つ。</p>
<p>◯<strong><strong>律宗</strong></strong> &#8211; 開祖：鑑真、寺院：唐招提寺<br />
　天平勝宝5年（753年）、鑑真が 6度の航海の末に、唐から招来し、東大寺に戒壇を開き、聖武上皇、称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けた。後に唐招提寺を本拠として戒律研究に専念した。</p>
<p>　鑑真が伝えたのは「四分律」によるものであったが、平安時代の最澄や空海はこれを支持せず、空海は「十誦律」を重んじた（ただし、最澄は延暦寺に独自の戒壇を設置するが、空海は受戒については南都六宗と同様に東大寺にて行うなど態度に違いがある）。このため、戒律に関する考え方が分散化して律宗は衰微した。</p>
<p>　日本においては、元興寺禅院の開祖の道昭が 661年に帰朝の際に、倶舎論 および注疏を招来したと考えられる。<br />
　天平勝宝年間（749 年 &#8211; 757 年）に東大寺の大仏開眼供養にちなみ南都六宗の一つとして自宗関係の多数の経論を転読講説していることから倶舎宗という宗派が公的に制定されていたとみられる。奈良時代以後は元興寺（南寺）と興福寺（北寺）を中心とする法相宗の付宗として伝統が伝えられた。<br />
&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;<br />
　南都六宗の内法相宗、華厳宗、律宗の三宗が、現在までも存続している。</p>
<p>　南都六宗は学派的要素が強く、仏教の教理の研究を中心に行っていた学僧衆の集まりであったといわれる。つまり、律令体制下の仏教で国家の庇護を受けて仏教の研究を行い、宗教上の実践行為は鎮護国家という理念の下で呪術的な祈祷を行う程度であったといわれる。</p>
<p>　朝廷の保護の下、力を持ちすぎた奈良仏教（南都六宗）の政治への専横問題があり、この影響を排除するため<br />
桓武天皇は平安遷都（794年）を行い、又奈良仏教に対抗しうる新しい仏教として、最澄が唐から持ち帰った天台宗や空海が持ち帰った真言宗を保護した。</p>
<p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E4%BB%8F%E6%95%99"><strong>平安仏教</strong></a>（平安二宗）</p>
<p>◯天台宗- 開祖：最澄、寺院：比叡山に延暦寺<br />
◯真言宗- 開祖：空海、寺院：高野山に金剛峯寺</p>
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		<title>日蓮聖人に学ぶ</title>
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		<pubDate>Sun, 11 Jul 2010 13:07:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>六無</dc:creator>
				<category><![CDATA[法華経を学ぶ]]></category>

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		<description><![CDATA[　甲比丹ゼームスの師小川泰堂に書きましたが日蓮聖人について学ぶには
　小川泰堂居士により整理された『高祖遺文録』は慶応元年から木版本『高祖遺文録』として出版とあります検索してみると古書のサイトに3点出ていましたが100, [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<a href="http://minobu.in/wp/archives/7551">甲比丹ゼームスの師小川泰堂</a>に書きましたが日蓮聖人について学ぶには</p>
<p>　小川泰堂居士により整理された『高祖遺文録』は慶応元年から木版本『高祖遺文録』として出版とあります検索してみると古書のサイトに<a href="http://www.kosho.or.jp/public/book/basicresult.do">3点出ていました</a>が100,0000円〜180,000円ではとても手がでません！。</p>
<p>　『高祖遺文録』は日蓮聖人遺文集の基礎となり明治以降に発行され、現在は昭和２７年に第一巻が刊行され昭和６３年に全４巻の改定増補版が刊行された<strong>『昭和定本日蓮聖人遺文』</strong>全４巻が勉強するには最も信頼出来そうです。</p>
<p>　又、小川泰堂居士はだれにでもわかりやすく日蓮聖人の伝記を集大成し慶応三年に刊行された絵入りの<strong>『日蓮聖人真実伝』</strong>（木版本五巻）も検索すると多数が古書として出ています。</p>
<p>　国立国会図書館の<a href="http://kindai.ndl.go.jp/index.html">デジタルアーカイブポ ータルサイト</a>では『日蓮大士真実伝 聖訓拝照. 小川泰堂編述  日宗社編輯局編、隆文館、大正10年 』がリンクされ<a href="http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963290">本文画像リンクサイト</a>で確認できますので参考にしてみましょう。</p>
<p>　という事で現在、何冊かの<strong>『日蓮大士真実伝』</strong>を入手し比較をしています。なるべく『日蓮聖人真実伝』に忠実な『日蓮大士真実伝』が入手出来ればと考えています。</p>
<p>　多くの情報が氾濫していますが日蓮聖人理解のために僕が基本として考える元となるのは上の2部の書籍になるでしょう。</p>
<p>　それにしても小川泰堂居士の業績に感謝しなくてはなりません。　</p>
<p>■日蓮大士真実傳<br />
『小川泰堂／小川雪夫、 錦正社／昭和３９年、 14/6 B6 182&#215;128・302ページ』には</p>
<p> 「日蓮聖人遺文」の書誌学的展望 p274〜p249　や<br />
 小川雪夫氏による「日蓮大士真実傳」の由来 p295〜p300　等<br />
 『昭和定本日蓮聖人遺』又、この『日蓮大士真実伝』の編纂された経緯が詳しく書かれた貴重な1冊です。</p>
<p>　しかしこの書籍には『挿画の如きはほとんど作者(小川泰堂)自身の下図になり、画工雪提（編者注-雪提は江戸名所図絵で有名な長谷川雪旦の子、名を宗一と云い紅梅・巌松斎などと号した雪谷派の重鎮）を我が家に逗留させて、一々に指図して描かせてから、文章よりも絵の方に苦心した。』<br />
 とされる挿画が1点小さくあるのみで、それが僕には残念です。</p>
<p>■聖訓拝照　日蓮大士真実伝<br />
『小川泰堂著　日宗社編輯局編、 隆文館　B6、 1冊、 大正10年』には挿画が一通り入っているようですが絵がちょっと見にくいのは残念ですが、これは大正の印刷ではここまでだったのでしょうか？。</p>
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		<title>久しぶりのサイト更新</title>
		<link>http://minobu.in/wp/archives/8468</link>
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		<pubDate>Wed, 07 Jul 2010 08:02:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>六無</dc:creator>
				<category><![CDATA[今更遅い？養生訓]]></category>

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		<description><![CDATA[　5 月13日の検査後、あまりに口から物が入らなくなりエンシュアを胃ろうから入れると口に迄其の匂いが上がって来て全くエンシュアを入れる気がしなくなってしまいました。
　あまりに体重を元に戻そうと頑張ったのがいけなかったよ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　5 月13日の検査後、あまりに口から物が入らなくなりエンシュアを胃ろうから入れると口に迄其の匂いが上がって来て全くエンシュアを入れる気がしなくなってしまいました。</p>
<p>　あまりに体重を元に戻そうと頑張ったのがいけなかったようです。</p>
<p>　6月14日頃には家の中で10歩も歩くとへこたれてしまい、体重も43kgくらいに落ちて来てしまったので病院に相談し抗癌剤の休薬期間に入る6月24日病院に再検査してもらう事に。</p>
<p>　6月24日　血液検査を受けたところ、先生に言わせると「そんなに動いていないのだから無理にカロリーを取ろうとしなくても良いですよ、今回の血液検査では尿酸値と血糖値が上がって来ているので水分の不足だとおもわれるので、水を1日1Lは飲んで下さい。」と云う事でした。</p>
<p>　が自分では沢山飲んでいたつもりでしたがあわてて飲んだ為にほとんど吐いていたようで、今回10mも歩くのがつらくなったのはそのせいのようです。</p>
<p>　エンシュアを入れる気がしなくなったので今回は「メディエフ プッシュケア」300kcalを紹介してもらいました、これは経管専用なので胃ろうから直接接種するもので、試しに使用してみると5分位で300kcalが接種できます。（エンシュアリキッドだと点滴みたいに胃ろうから入れるので濃いエンシュア375Kcalの接種に約40分もかかるので、今度は大分楽です。）</p>
<p>　しかーし、胃ろうからのカロリー摂取はロボットみたいでいささか抵抗もあり、当面はコーンポタージュスープ、生ジュース，具無し味噌汁等を中心に「メディエフ」「エンシュア」等はカロリー不足の補完的に使うという事で今回40.6kgにまで下がってしまった体重45kgを目標に頑張ってみようと試しています。</p>
<p>　それにしても人間はあまりにカロリー不足で体力が落ちて来ると、TVの音もうるさく感じられ薬を飲むのもいやになって来るようです、僕はやっとブログの更新が出来る意欲が戻ってきたようなので，少しづつ元の生活サイクルに戻すよう頑張ってみます。</p>
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		</item>
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		<title>モルディブ(Maldives)でダイビング</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Jun 2010 16:27:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>六無</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[
津金千尋(Tsugane Chihiro)
　親戚のチーちゃんは2年前の6月オランダのワッセルさんの希望で身延山常唱殿にて結婚式をあげました。
　彼女は大分前からモルディブの「Delphis Diving Center [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="capright">
<a href="http://minobu.in/wp/wp-content/uploads/2010/06/Chihiro.jpg"><img src="http://minobu.in/wp/wp-content/uploads/2010/06/Chihiro.jpg" alt="Chihiro" title="Chihiro" width="164" height="218" class="alignnone size-full wp-image-8445" /></a><br />津金千尋(Tsugane Chihiro)</div>
<p>　親戚のチーちゃんは2年前の6月オランダのワッセルさんの希望で<a href="http://minobu.in/wp/archives/1583">身延山常唱殿</a>にて結婚式をあげました。</p>
<p>　彼女は大分前からモルディブの「<a href="http://www.delphisdiving.eu/Jpn/index.html">Delphis Diving Centers</a>」でダイビングインストラクターの仕事をしているのですが僕にはモルディブまでは、とても行けそうもありません。（最も、<a href="http://www.fujikawa-club.jp/">富士川のラフティング</a>だって、もう無理みたいなんです。）</p>
<p>　という事で、モルディブに行きたい方は<a href="mailto:info@delphisdiving.com">メール</a>にて問い合わせてみて下さい。（日本語のメールで大丈夫です。）</p>
<p>　モルディブはちょうどインドとスリランカの下側に位置し、その南北に広がるインド洋の850kmに渡る環礁です。1200以上の島々の内、わずか200島に人々が暮らし、最近では約90の島がホテルリゾートとして姿を変え、安心してホリデーを過ごせる最後の楽園となっています。</p>
<p>　デルフィス・ダイビングセンターは１９８３年より始まり、現在ヴィラホテル系列のリゾート、<a href="http://www.delphisdiving.eu/JpnDives/Paradise/Dives.php">パラダイスアイランドリゾート</a>＆スパそして<a href="http://www.delphisdiving.eu/JpnDives/Royal/Dives.php">ロイヤルアイランドリゾート</a>＆スパの２つのリゾートで活動しています。</p>
<p><object width="500" height="350" data="http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&amp;hl=ja&amp;brcurrent=3,0x0:0x0,0&amp;msa=0&amp;msid=111785299853511043141.000488871348ac53d453a&amp;ll=22.43134,106.171875&amp;spn=54.990221,88.066406&amp;z=3&amp;output=embed">モルディブ(Maldives)</object></p>
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		</item>
		<item>
		<title>モバイルサイト作成(その2)</title>
		<link>http://minobu.in/wp/archives/8423</link>
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		<pubDate>Tue, 08 Jun 2010 10:34:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>六無</dc:creator>
				<category><![CDATA[Mobile Site]]></category>

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		<description><![CDATA[3キャリア対応モバイルサイト作成を試みる。で、一応のテンプレートを公開しましたがまだまだ修正箇所を知らされます、少しづつですが修正を重ねて行く事にします。
[修正１]　div要素内をセンタリングする際には、XHTMLでは [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://minobu.in/wp/archives/8347">3キャリア対応モバイルサイト作成を試みる。</a>で、一応のテンプレートを公開しましたがまだまだ修正箇所を知らされます、少しづつですが修正を重ねて行く事にします。</p>
<p>[修正１]　div要素内をセンタリングする際には、XHTMLではtext-alignプロパティを用いるのが一般的ですが、古い機種までサポートするのであれば、下記のようにalign属性を併記します。<br />
参考：<a href="http://thinkit.co.jp/article/143/3?page=0,2">3キャリア対応の携帯サイトを作るには</a></p>
<p>div要素内をセンタリングする際にために、下記のようにalign属性を併記します。</p>
<div class="txboxh">&lt;div style=&#8221;text-align:center; align=center;&#8221;&gt;</div>
<p>[修正２]　DOCOMOとSoftBankは､imgﾀｸﾞのcssで｢float:left;｣を指定することにより回り込みが行われますがauは仕様により｢float｣を認識しません｡<br />
そこで､imgタグに｢align属性｣を付ける必要があります｡</p>
<p>参考：<a href="http://www.24w.jp/study_contents.php?bid=keitai_site&amp;iid=html&amp;sid=html&amp;cid=004">画像の右に文字を表示する</a></p>
<div class="txboxh">&lt;img src=&#8221;xxx&#8221; style=&#8221;flort:left;&#8221; align=&#8221;left&#8221;&gt;</div>
<p>　修正してみましたがgooの<a href="http://emu.mobile.goo.ne.jp/emu/emu.php">携帯サイトビューワ</a>では文字の回り込みが出来たものの、自分の携帯では回り込んでいません。</p>
<p>　こうなると、3キャリアそれぞれに<a href="http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%B4%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A2&#038;ie=utf-8&#038;oe=utf-8&#038;aq=t&#038;rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&#038;hl=ja&#038;client=firefox">ウェブコンテンツヴューア</a>をダウンロードして確認した方がいいのかも知れませんが、検索してみると各社のビューアでも携帯の開発速度が早く追いついて行かないようです。</p>
<p>　という事で今の処は「gooの携帯サイトビューワ」で簡単にすませておこう？</p>
]]></content:encoded>
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